敗戦記念日に思う

敗戦記念日に思う

 

今日は不動産ネタではありません。自分の思いだけです。

 

今日は終戦記念日。私たち日本人にとって特別の日です。

 

タイトルの「敗戦記念日」というのは私の高校時代の教師が使っていた言葉です。少し右寄りの方でしたが私はとても好きな先生でした。

 

この先生は「終戦」なんてきれいな言葉でまとめてはダメなんだとおっしゃっていました。当時は意味がわかりませんでした。

 

私達日本人は過去戦争をし、そして負けた、この事実をしっかり認識して生きるべきだと言いたかったのだと今は思っています。

 

何度かブログにも書いていますが、日本は戦争に負けたから今でも色々言われます。戦争に負けた時点で受けるべき制裁を受けきれていなかったのかもしれません。(昨今の隣国の様子を見ると、どんな制裁を受けたとしても何も変わらないかもしれませんが・・・)ただ、戦争に勝っていれば状況が違うことは明らかです。

 

そこはともかく「負けた」のだということはしっかり理解しておくべきだと思うのです。もちろん勝てばいいのかといえばそんなことはありません。勝っても負けても傷つくのが戦争だと思うのです。そして傷つくのはいつも弱者である私達一般庶民です。

 

 

人類の歴史は戦争の歴史です。これは避けられない「性」なのかもしれません。自国を愛することは当然の心情です。しかし同時に他国の人もその国を愛しているわけです。そんな簡単なことがわかれば戦争にならない・・・というほど単純な世界ではありませんが、このまま戦争のない世界が続いて欲しいと願います。

 

私の親は戦時中に生まれ、戦争は知らないけれど貧しさは知っていると聞いたことがあります。一方私はなに不自由なく暮らしてきました(今思えばうちはかなり貧乏でしたけどね・・・笑)そして今、自分の子供を授かり未来のことをよく考えます。

 

人類の歴史でこれほど長く争いがないことは珍しいのではないかと思います。その代償も払っているのかもしれませんが、それでも戦争がないということは素晴らしいことです。

 

しかしそろそろ油断がでているのではないかと思っています。各人が各様に考え自由を生きることは素晴らしいです。しかし自分の自由が他人と干渉した時に自分の我だけを押し通そうとする人が多いように感じます。余裕がないというのか、とにかく自分本位でしか考えない。これは非常に危険なことです。

 

そんなおりの憲法改正問題です。私は憲法改正には反対していませんし、憲法改正が戦争につながるとは思っていません。しかし、とても重要な決断をしようとしていることには意識を集中して考えるべきです。明確に国の意志がないまま憲法が改正されるのは非常に危険だと考えています。

 

同時になぜ今、憲法改正が必要なのかを考えています。中国・韓国・北朝鮮・ロシアなど、戦争になりそうな国はあるのです。日本という国として戦うのか、アメリカの保護下に入るのか、いまおかれている状況を冷静に考え、道を示して欲しいなと為政者にはお願いしたいものです。

 

他国の戦争で潤って今の日本があります。自国が戦争をしなかったから疲弊を免れ今の日本の発展があります。戦争は勝っても負けても国が疲弊するのです。いいことなしなのはどの国の人だってわかっています。

 

でも戦争は起こる。

 

原因はだいたい宗教か金(エネルギー・資源などを含む)です。原因までわかっていても・・・

 

戦争は起こる。

 

一日でも長く戦争のない世の中が続くことを願います。私の子供達のために。世界の子供達のために。

 

『今日あなたが無駄に過ごした一日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった一日である。』この時期にいつもこの言葉を思い出します。いま生きている人ばかりではなく、先達にも思いをはせて今日は一日過ごしたいと思います。

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