私の考える自由とは
場所の自由
時間の自由
経済の自由
です。こう考えると経済の自由はサラリーマンでも可能でしょうが、場所と時間の自由は実現が難しいことがわかります。
やはりサラリーマンというのは資本家に生命線を握られていますから、真の自由にはなりにくいのです。しかし自由を優先しすぎて経済が成り立たなくては意味がありませんから、サラリーマンの期間に準備をすることが大切だということです。
もし本当の自由が欲しいなら、どこかで見切りをつけるしかありません。サラリーを捨てる・・・これほど怖い決断を下すことはとても大変です。その決断を下すには、ある程度の経済的な保証ができてからでなくては無理でしょう。
決断には準備が必要です。この準備が日々の選択にかかっています。
選択とはどちらかを選び、どちらかを選ばないということです。つまり決断です。決断には小さなものから大きなものまであります。大きくても小さくてもその決断がこれからの人生に大きく影響してきます。
私が今このような生活しているのも、あなたが今の生活をしているのも、すべて個々の選択の積み重ねの結果です。そう考えると、今の生活に不満があるのなら、何処かで選択を間違えているのです。何処かで正さなくてはなりません。
しかし過去は取り消すことはできません。つまり、これからの選択で軌道修正していくほかありません。自由が欲しいと願いながら貯蓄がないのなら、貯蓄できるように生活を質す必要が必要があるでしょう。その小さな気づきが選択を迫り、そして決断へとつながります。
選択をしない日はありません。この小さな選択はすべて大きな決断へとつながっていることを自覚すべきです。
とはいえ、多くの人は、概ね自分に取ってベストの選択をしてきています。無理して生活を変える必要はありません。あなたが仕事漬けの毎日を送っている・・・これもあなたが望んだ結果です。逆に仕事に喜びを見出せず、うろうろしている・・・これもあなたが望んだ結果です。
だいたい愚痴を言う人はどんな結果でも愚痴をいいます(笑)つまりそこでいいわけです。ベストの選択をしてきているのですよ。だからそのまま生きていけばいいのです。
気づかないのなら一生気づかない方が幸せです。しかし何かを強く望み達成したいなら気づかなくてはなりません。今日のこの小さな選択が大きな決断の礎となり、その望みを叶えることになるのだと、あるいは達成が遠のくのだと・・・
すべての選択はひとつにつながっています。それがいくつにも絡み合い進行するのが人生です。私は常に死に向かって一直線に歩んでいるという意識が強いので、今、充実していることを最重要視して選択しています。単純に刹那的だと誤解して欲しくはないのですが、究極の考えとして「今を楽しむこと」に意義があると思っています。
しかし同時に先の未来についても理想型というものも持っています。今を充実させつつ、未来への理想から離れないことを考慮してに選択しています。
人は常に選択をせまられている存在です。
自分の選択の基礎となる考えが整っていると素早い判断ができます。秋の夜長、あなたが何を大切にしているのか。よく考えてみる時間が必要なのではないでしょうか。