夢は手に入れるものだ。何度でも挑戦するんだ。諦めない者に勝利は訪れる・・・
私はそうは思いません。諦めることから始まる幸せもあると思うのです。
決して後ろ向き発言ではありません。諦める・捨てる・投げ出す・・・どれも後ろ向き発言に思われますが、人生色々あります。人によっては諦めた方が幸せになることもあるのです。
私は会社員でいることを諦めました。会社での出世を諦めました。経済的自由(ファイナンシャルフリー)を諦めました。カリスマ大家になることを諦めました。ネット界で活躍する人のような一攫千金を諦めました。
諦めたことで見えてきたことがあります。
会社で偉くなるのは難しい。自分で会社を作って社長になる方がはるかに簡単。
ファイナンシャルフリーなんて一部の人間にしか許されない。
(若いうち、あるいは恵まれた環境でないと実現には大きなリスクを伴う。)
サラリーマンでだめな奴は大家でもダメだということ。カリスマ大家ってのはやはり人間が違います。
ネット界のスーパースターは「商売上」「こんな私にも出来た・・・あなたにもできる」といっていますが、実際のところ彼らは非常に優秀でかつ忍耐強く仕事をしています。決して誰でもできることではありません・・・などなど。
ちょっと後ろ向き発言に見えるかも知れませんが真実です。
では、諦めた者は身を屈めて小さく生きていかなくてはならないのでしょうか。そんなことはありません。今、私は寿命の半分は経過したと思われますが、人生史上最高に幸せな生活をエンジョイしています。
そうさ、君は気づいてしまった、安らぎよりも素晴らしいものに。
昔から大好きな詩でした。今そんな心境なのです。サラリーを諦めることはとてもつらいことでした。仕事も楽でしたし給料も滞ることなく淡々と振り込まれていました。私には守るべき家族もいます。とても諦めてる場面ではありませんでした。しかし、諦めました。人生をもう一度楽しむために必要だと判断しました。判断するのは自分以外にいません。自分で自分を鼓舞し考え抜かなくては、あのぬるま湯から抜け出すことは不可能でした。「諦めること」これは簡単なことではありません。
かっこ良く言えば「勇気ある撤退」です(笑)
私の友人は、毎日深夜まで働き、会社のために頑張っています。会社のために頑張るのが当たり前だと言っています。一部上場の企業ですから給料もいいと思います。年齢相応のポストを得ています。しかし幸せには見えません。いつも愚痴を言っています。
「辞めたら」と言ったことがありますが、一喝されました(笑)彼は昔から負けず嫌いで頑張り屋でした。友人としては彼が押しつぶされず頑張りきれることを願うしかありません。でも、なぜ私が幸せそうにしているのかは気になるようです。彼に諦める勇気がもてるかはわかりませんし余計なお世話です。もちろん私が正しいわけでもありません。ただ聞かれたら答えようと思います。
すべてを諦めていたら幸せにはなれないと思いますが、諦めることも否定しない柔軟な生き方をおすすめしたいと思います。