ハッピーリタイアです

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大家仲間やブログ仲間から「リタイアおめでとうございます」と声をかけてもらうことがあります。以前は「ハッピーなリタイアではありません」と答えていました。そしてそれを聞いた方は落胆するか、終わったなという態度にでられます(笑)

 

今思えば失敗した時の言い訳として、妻のことや、自分がいかに辞めなくてはならなかったかをアピールしていたように思います。要はいいわけです。

 

自分の考えで自分を信じて会社を辞めたのです。辞めてもこうして生活している自由を短期間であれ用意できたのです。これをハッピーと言わないのは贅沢を通り越して不遜な人間だと思うようになりました、

 

確かに世間的には厳しい状態です。大口の収入口を一つ捨てたわけですから、生活が変わるのは当然です。

 

ちなみに家賃収入から返済金プラス経費プラス税金を引いたものが主な手残りになるのですが、後々に予想される修繕等のためにまったく手放しで使えるお金ではありません。

 

サラリーマンでいれば、手堅い収入と社会的信用が得られます。不動産を増やしていくこともできたでしょう。しかし私は同時にリスクもあると思っています。具体的にはサラリーだけに頼る生活・サラリーマン属性だけに依存する信用構築・不動産を増やすためにとる様々な大きすぎるリスクなどなどです。

 

これからの時代は右肩下がりの経済になると考えています。永遠に上がり続ける経済はありません。日本はすでに繁栄を享受してきたのです。(私たち世代ではありませんが)

 

右肩下がりの経済の中では何をやってもだめです。株も債券も不動産でさえもです。では未来は絶望的かといえば、まったくそんなことはなくて、個人の活躍が光る楽しい世界になると予想しています。

 

私はその波に乗りたい。その時にサラリーマンであれば乗り遅れる。そう思っています。サラリーマンが悪いのではありませんが、私には性に合わないということですね。

 

収入面のことばかりに引きずられて、「ハッピー」ではないと思っていましたが、サラリタイア生活1年半を振り返り、「ハッピー」なリタイアだと訂正させていただきます。

 

サラリタイア最高です。こう言い切るのは大変なことでした。日本は20年近くかけて優秀なサラリーマンを養成する教育をしています。その考えにとらわれる限り、サラリタイアはハッピーだと思うことはできません。

 

大変なことですし考え方によっては、人の人生に新しい価値観を伝えるというのはおせっかいなことかもしれません。でも、幸せの形はひとつではないことを伝えられたらいいなと思っています。