これは私の大好きな堀江もんこと堀江貴文さんの言葉です。
彼はその言動が先進的なので嫌悪される方も多いのですが、私は大好きです。もちろん彼のような天才ではないのですが、似ているなと感じることが多いのです。
堀江もんのブログより
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10309923304.html#main
この記事は古いものとなりますが、ブログ仲間がシェアされていて最近読みました。
この考え方・・・ある人によっては嫌悪される内容ですが、ちょうど私も考えていたところだったのです。
今の労働の形は、生きるための労働ではなく、対価を得るための労働だという部分です。
日本人のDNAには貧しかった農耕民族時代の影響が色濃く残っています。世界に名だたる最貧国の一つであった日本は働くことが生きることであるとされていました。代表的な例をあげれば「働かざるもの食うべからず」という言葉です。これはこれで尊いことですが時代は変わります。
私たちの労働のほとんどが生きるためではありません。そう思わされているだけです。自分の子供に飯を食わせなくては死んでしまいますが、いい学校に行かせられなくても生きてはいけます。もちろんできるだけのことはしてあげたいというのが親心です。しかし、そのために親が死にそうな思いをして働いていたら本末転倒です。
巷を見渡せば下流階級にいる人がいかに悲惨かを永遠にたれ流しています。そして、「ああはなりたくない」「あそこまで落ちたくない」「貧困は嫌だ」と刷り込まれていきます。どんどん恐怖を刷り込まれていきます。今、既得権益を得ている人はその座にしがみつき、入れていない人は必死にその座を奪おうとする。そんなイメージです。
ですが、食っていくことに困る場合は、生活保護というセーフティーネットもあるのです。また、そこまでいかなくても仕事があるし、なければ作ればいいのです。
少し話がそれましたので、ホリエモンの話に戻ります。
生活に必要な金をあらかじめ渡しておくという考えはやや突拍子もなく、財源などを考えると難しい部分がありますが、働くという価値観については首肯ける部分も多いです。
私のサラリーマン時代のモチベーションが急速に下がってしまったのはまさに仕事のための仕事をしていたことによります。儲からないのに捨てられない。何かしていなくてはならない。そして不要の仕事を作り、遅くまで残業して仕事をしたという充実感を得るという「不毛」以外のなにものでもないものでした。
労働信仰に支配されている。
まさに私が言おうとしたことを彼は4年前に話していたわけです。「働かなくてもいいんじゃないか」というのは彼独特の言い方で、実際は人間には認められたい欲求など欲求の塊の存在ですから働かないというのは考えにくいです。
もらえるものはもらっておこうというのは当然の心理ですが、私たちの労働は食うためという次元の話ではありません。ライフラインは確保しつつも、サラリーをもらいにいくのではなく、もっとアグレッシブに自らの満足のために働いてみるのがいいのではないかと思っています。
ちなみになんですが、ほとんどの人が「私は自分のために精一杯楽しくやっている」と思っていると思います。そう信じるように教育されています。いわゆる洗脳です。もっと時間をかけて自分の心に聞いてみることができないと一生資本家の労働力として扱われます。
そして最低限のライフラインを確保するための準備には不動産投資が一番です。
より良く生きるために不動産投資を始めて欲しいなと思います。私がおすすめするのはオーソドックスな投資法ですので投資法自体は本などで勉強すればいいと思います。私ブログでは実際の大家の面白さや、苦労、などを伝えていけたらいいなと思います。